5月半ばにしては気温が上がり、
少し動くと汗ばみ、庭作業をしていたら汗がダラダラ。
2017年5月14日の日曜日は、そんな日だったことを覚えています。
手入れが行き届いていなかった庭の草花も、やはり5月、
それなりに庭を賑やかにしてくれていることに嬉しくなりました。
だから、とても暑かったけど、
お昼過ぎに、あれやこれやと草花の写真撮影。
◇モモイロタンポポ
◇イングリッシュローズ(David Austin Roses)のバターカップ
◇バラ、アウグスタ ルイーゼ
庭の手入れと草花の撮影を終えて家に入ると、
父が、お腹が痛い、それもかなり痛くなってきたと。
あれ、1時間くらい前に休憩のため家に入った時は、
ごく普通にトイレに行ってたのにな、どうした?心配・・・と。
なにしろ高齢なので、
何かほかの疾患が腹痛という形であらわれたかもしれないと思い、
念のために体温を測ってみると、なんと38℃。
どんな痛さなのか聞くと、
どんどん痛さが強くなっていくと言い、グッタリしている。
そして、起き上がれないと言い出したので、
救急車を呼ぶことに決めた私。
というのも、父は2013年2月に脳梗塞になり、やはり救急搬送。
再発ではないかということが脳裏をめぐり、
大事をとりたかたから。
その脳梗塞は、なんといっても早期の気付きと救急搬送による処置、
さらに、血栓ができたのが運動や言語に
大きな影響がない位置だったことから、
入院翌日には、見た目には何の支障もないほどに快復しました。
(しかし、見た目と本人の感覚とは違っていたようで、
このことに関してはまた、この「父・入院日誌」の中で書きます)
話を2017年5月14日のことに戻します。
救急車で前述の脳梗塞の時と同じ、近くの総合病院に搬送された父。
様々な検査を経て、わかった病名は、
予想もしなかった尿管結石と、
それを原因とする腎盂炎を発症していたのでした。
痛み止めや炎症を止める点滴を開始した父は、
病室で気持ちよさそうに、すやすやと眠り始めたので、
私も、とりあえず一安心。
治療が済めば退院できる病気で良かったと。
しかも、そんなに長い入院にもならないだろうと。
ところが、そうはいきませんでした。
搬送された急性期病院である総合病院から、
別の療養型病院、さらに別の療養型病院へと転院し、
その期間1年2カ月。
とうとう自宅に戻ることなく、
2018年7月7日の旅立ちの日を迎えたのでした。
最初の入院からしばらくして、
これは長期戦になるやもと感じ始めた私は、
父の入院日誌をつけることに。
父の様子、病状、日々の変化、医師からの状態報告、
治療や療養の方針、それにともなう喜びや落胆、
父との何気ない会話、
高齢者医療に関する疑問や問題、
そして、親孝行とは?という私の想い、
自分では、どうすることもできない父の衰え、
生きるとは?死ぬとは?という思索。
そんな、いろいろなことが書き留めてある日誌。
その記録をもとに、
ここに「父・入院日誌」連載していきたいと思います。
ちまたで言われている高齢者医療の是非。
「こうするべき」「こうしたほうがよい」という、
よくある意見に対する疑問。
それは一人ひとり違う人間なのだから、
「こういう時は、普通こうします」というやり方が、
誰にでも当てはまるものではないという怒りのような葛藤。
日々、父のいる病院へと通う中、
季節の移り変わりに関しても、よりいっそう敏感になっていました。
季節の巡りに励まされ、
季節を感じる写真もたくさん撮っていました。
その写真とともに記録していきます。
そして、人生の最後期の父に、
「お父さんは、なんて幸せなお父さんができたことか」と
毎日毎日感じてほしいという私の切なる願い。
書いていきます。