8月15日、終戦、「熱涙滂沱として止まず」と内田百閒
ドイツ語教官を務めたという経歴があるものの、
戦争に関して反対とか賛成とか、そして愛国心とは何かとか、
そういうものを作品で明言することはありませんでした。
日本文学報国会への誘いはさりげなく拒否し、
創作もままならない戦下の暮らしを日記に綴っていた百閒。
戦後、その日記に
『東京焼盡』というタイトルがつけられ発行されました。
東京に初めて空襲警報が鳴り響いた昭和19年11月1日の
日記に始まる『東京焼盡』。
昭和20年3月10日夜の、本所、深川、浅草など、東京下町の大空襲。
5月25日夜から26日朝にかけての、
麹町、四谷など、山の手を狙った大空襲。
そして、8月15日の終戦を経て、翌21日までの日記。
8月15日、終戦の日。
「熱涙滂沱として止まず。どう云う涙かと云う事を自分で考える事が出来ない」と。
「熱涙」「滂沱」「止まず」
終戦と聞いて涙が止まない。
しかしその涙が、どういうことなのかわからない。
多くの日本人にとって、
整理のつかない複雑な想いを抱いた日。
昭和20年8月15日とは、そういう日だったのでしょう。
昭和、平成、令和と、終戦から74年がたった今年も、
終戦の日が近づくとともに、
あの戦争に関するテレビ番組が放送され、
私も、そのいくつかを観ました。
様々な、複雑な、整理のつかない想いを抱く8月15日。
ただ一つ、後世に確実に言いつないでいきたいのは、
「戦争はしてはいけない」ということです。