季節めぐり

季節はめぐり、人生もめぐる、乳がんサバイバーになりました

お久しぶり

ものすごい久しぶりに更新します。

 

最後の更新が2020年6月6日だったので、約4年ぶり。

その当時、2018年7月7日に父が旅立って、

それからのあれこれがようやく落ち着いて、

更新がとどまっていたアメブロから心機一転、

このHatana Blogに登録して投稿し始めてたいのでした。

 

それで、2021年10月21日、

その、ここでの最後のブログを投稿していた前年6月には

元気そのものだった母が旅立ってしまったのですよね。

 

コロナ禍まっただ中だったので、

2021年のお正月明けから入院して、

面会できる日も時間も限られていて、

とてもつらい日々でした。

 

そのことは、また別の機会に。

 

そして今の私。

 

昨年の年末ギリギリから、今年のお正月明けにかけて、

人生の激変がありました。

 

年末に、左胸にシコリを発見。

年内ギリギリに検査して、お正月明けの結果待ち。

 

今年1月9日、乳がんの告知をされました。

 

それ以降のこと、綴っていこうと思います。

 

横田めぐみさんのお父さんへ

 

夕刻の庭、バラのレイニーブルーが咲きそうだけど、

昼間は晴れていた空も、少しレイニーでブルーだなと、

ひと時、眺めて戻ってきたら、

横田めぐみさんのお父さんの滋さんの訃報。

 

www3.nhk.or.jp

 

めぐみさんは、1964年生まれの同級生で、

両親の年齢、弟の年齢まで、ほぼ一緒という

同世代・同時代家族ということもあり、

我が家では

「めぐみちゃん、早く帰ってきて、早く」と、

願ってやまないでいました。

 

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お父さんの滋さんが

体調を崩されていると知らされた時から、

「早く、めぐみちゃんを、早く日本に帰らせてあげて」

「どうか、お父さんに会えるように、間に合うように」と。

ほんとうに、くやしくて、悲しくて、苦しくて、つらい。

 

 

今夜の、満月1日前の、明るく美しい月、横田めぐみさんのお父さんへ。

 

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拉致被害者のみなさんに、拉致被害者家族のみなさんに、

夜道でも明るい光が照らし続けますように。

 

皆、同じ月を観ています。

 

 

31年前の中国人留学生と天安門事件

 

今日、6月4日といえば、この忘れ得ぬ歴史的出来事につきる。

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www.businessinsider.jp

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天安門事件が起きた1989年、私は大学を卒業して2年目で、

新卒就職はせずに、大学時代からのアルバイトを続けていました。

 

といっても、3社のアルバイトかけもちで、

おそらく、まともに就職した同級生たちより忙しい日々。

 

その一つが、都内で飲食店展開をしている会社が運営する居酒屋。

店には、都内の、あの国立大学医学部に通う中国人留学生の女性が

アルバイトとして通っていました。

 

店内にはテレビモニターが設置してあり、

普段は国内外のヒット曲のプロモーション映像が流されていましが、

たとえば、注目の野球の対戦があったり、

見守りたいニュースがある日などはテレビ番組に切り替えて、

スタッフ、お客さんともども、その画面をチラチラと観ていました。

 

天安門事件のその日、私も、中国人留学生の彼女も、店に出ていました。

そして、天安門広場に集結した市民や学生たちと人民解放軍が衝突する、あの場面。

テレビでは、それが繰り返し流されていました。

 

その日は、来客数もあまり多くなく、

スタッフたちも、その画面を息を飲んで見守っていたのです。

 

その途中、突然に、中国人留学生の彼女が、わっと泣き出し、

そのまま、スタッフが着替えなどをするバックヤードに駆け込みました。

 

びっくりしました。

 

皆、ただ呆然とするだけで、どうすることもできませんでした。

 

私は、そして、きっと、その場にいた他のアルバイトスタッフも、

中国人である彼女が、その映像を見て何を思っているのだろうかと、

そういうことは考えていましたが、なにしろ、20何歳かの若者ばかり。

 

彼女を含めた皆で、その光景を前にして、どんな会話をすればいいのか迷うばかりで、

いつになく、シーンとした店内になっていたことを記憶しています。

 

そんな重苦しい空気の中で、泣きだしてしまった彼女。

店長が、「今日は、もう帰ろうか」と声をかけると、

うんと頷いて、閉店前に早退することになりました。

 

その直後、彼女は1カ月ほど帰国するということでアルバイトを休むことに。

 

そして、再びアルバイトに復活した時、思っていた以上に晴れ晴れとした様子で、

私たちも、思うところはありながらも、

なんとなく救われた気分になったのでした。

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中国の大学医学部を出て医師として働き始めていながら、

日本に医学部大学院留学生として来日したのだと言ってたな。

今は、どうしているかな。

このたびの新型コロナ禍の中でも活躍した(している)のかな、と。

 

 

3年前の今日が、忘れられない日になったこと

 

3年前の5月14日は日曜日でした。

庭の草花の写真を撮り歩いてたら、予想以上に汗をかいて、

とても暑い日だったことを覚えています。

 

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「はぁ・・・、暑いわぁ・・・」と、休憩のために室内に入ってみると、

「お腹がものすごい痛い、気持ち悪い」と言う父。

 

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そう、3年前の今日、

夕方少し前に救急車で病院に行って入院して以来、

父は1年2カ月ほど病院暮らしをすることになり、

以後、家に戻ることはなかったのだなぁと。

 

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今日も、そして、これからの5月14日も、

そんな、とても感慨深い日になるのだなぁと、

そんなことを想う1日でした。

 

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3年前と同じく、

今年の5月14日も、少し動くと汗ばむ以上の暑さで、

もう春は終わって初夏なんだなと感じる日。

 

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ひと時、コロナのことは忘れて、

まだ暑い夕陽の逆光の中で、今日の庭の草花を撮ってみました。

 

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このバラがつたう格子のフェンスは、

2013年の冬から春先にかけて、

元気だった父がつくって設置してくれたもの。

 

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小さな白い花がたくさん咲くハクチョウゲは、

私が幼い頃から庭に鎮座している長老。

花を手に取って、蜜を吸って楽しんだ懐かしい思い出がよみがえります。

 

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それからお父さん、

ヤマボウシの木が、どんどん大きくなってるよ~!

 

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花のように見える白いガク。

真ん中の、かわいい実。

 

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今年は、こんなにたくさんです。

 

 

面会できない悲しさ、つらさ

 

2年前の冬から春までの
季節性インフルエンザの流行時期のことです。

私の父は、それ以前の初夏から長期入院していていました。

いわゆる高齢者の終末期に入ってたことは明らかでしたので、
入院初日からずっと、ほぼ毎日、面会に行っていました。

考えたくないことですが、
「今日のこの面会が最後になるかもしれない」という、
そんな現実を抱えて病院に通う日々。

秋ごろからインフルエンザの流行が言われるようになり、
年末になると、
恐れていた「面会の回数や時間の制限」がなされることに。

できれば面会は1週間に1回くらいにしてほしい、
そして面会時間は1回5分以内に。
それが病院からの希望。

病院にウイルスや菌を持ち込んだり、
逆に、病院から持ち出してはけないので、
その制限を守らなければならないことも理解できます。

でも、父は私が毎日会いに行くことを楽しみにしていて、
それが、残された人生の時間を、
少しずつ少しずつ延ばしていることも実感としてわかっていました。

現在、新型コロナウイルスが原因で、
病院での面会は、もっと厳しくなっています。

今、大切な人が入院していて、
その人は、人生の残り時間が少なくて、
でも、面会できなくて、
悲しく、つらい思いをしている人が
たくさんいること。
どうか、その悲しみに想いをはせてほしいです。

当時、世の中でいろいろなことが起きていても、
このFacebookでいろいろな意見がかわされていても、
そんなことはどうでもいいというか、
そんな喧噪の中に参加できないでいる自分がいました。

今も、そういう人々がたくさんいること。
想ってほしいです。

 

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写真の桜は、2年前の今頃、
「今ね、外では桜がこんなに咲いてるんだよ~!」と、
父に見せてあげた写真です。

(※Facebookへの投稿の転載です)