季節めぐり

季節はめぐり、人生もめぐる、乳がんサバイバーになりました

「My breast cancer journey」を作成、随時更新していきたい

私の乳がんに関する自作資料です。

告知、検査、手術、術後検査、これからの治療取り組みに関して、きちんと正確に記録していこうと作成し、随時更新していきます。

 

 

タイトルは、「My breast cancer journey」にしました。

闘病記、闘う、というより、焦らず、めげず、共に歩む、って感じで「journey」と。


担当ドクターと看護師さんに、「こんなのつくってみたんです」と、チラリと見てもらったら、「すっごーーーーーい!」「素晴らしい!」って、こちらが驚くほど盛り上がってくれました。笑

そこで、「こういうのつくるのも、仕事の一つなので・・・」とお伝えしたら、そのことにも興味を抱いていただいたようで、しばしフリーライターの仕事の話も。

作成にあたっては、乳がんに関する情報を、どこから、どのように持ってくるかが非常に大切なこと。

なにしろ、ネットには、さまざまな情報があふれ返っていて、中には、間違った情報、主観が混じった情報、あるいは、まったくのウソ、怪しい情報も。

そこで、大原則として、日本乳癌学会が乳がん患者向けに開示している
『患者さんのための乳がん診療ガイドライン2023年版』からの情報を元に作成することにしています。

jbcs.xsrv.jp



PowerPointで作成していますので、そのうち、いつか?乳がん体験者としての発表の機会でもあれば、そのまま使えるものにしていこうかなと。

まあね、今の最初の意気込みだけでなく、ちゃんと続けて作成していこうね、私。

って、言い聞かせています。笑

飲む抗がん剤にトライすることになりました

手術後2回目の外来診療だった昨日、「オンコタイプDX」という遺伝子検査の結果が出たという話は昨日の日記にアップしました。

その、遺伝子検査から導き出された私の乳がん再発の可能性は、そんなに高くはないのですが、いや、むしろ低いのですが、結論から言うと、再発予防のための、飲む抗がん剤にトライすることになりました。

トライの理由がいくつかありますが、それは、2~3日中の時間がある時に、しっかり記載したいと思います。

治験のデータなどエビデンスがあります。


そんなわけで、今後の治療スケジュールをまとめると。

まず、放射線治療を25回(5週間連続で土日以外の毎日)行う。

つまり、5週間、毎日通院するということ!

その後、抗がん剤ホルモン剤の服用を開始する。

ということになりました。


放射線治療に関しては、5月1日(水)に放射線科の医師とのカウンセリングを経て、おそらくゴールデンウイーク後に開始。


抗がん剤は、Ts-1(ティーエスワン)を服用。

www.ncc.go.jp

 

ホルモン剤は、アロマターゼ阻害薬のアナストロゾールを服用。

www.ncc.go.jp

 

Ts-1は2投1休(2週間服用し、1週間休薬する)を1年間。

アナストロゾールは、5年ないし10年間服用。

ドクターは、5年で一区切りとするか、10年続けるかは、5年後には、今より確固たるデータが出そろうはずなので、その時点が再検討しましょう、と。


うーん。

今までの人生で、服薬や点滴・注射によるアレルギーは起きたことがなく、それに、何にしろ、医療的な新しいことへの抵抗感もないほうだと感じていますが、何しろ、抗がん剤は初めてなので。

まさか、自分が抗がん剤と向き合うことになるとは。

と、がん患者の誰もが思うことではないでしょうか。


ドクターと看護師さんには、
「やらないで、よくない結果に後悔するより、
 やって、よい結果に喜ぶほうを選びたいです。挑戦します」と伝えました。

ドクターによる受診後、看護師さんとの再確認のための面談があったのですが、上記の「やらないで・・・後悔、やって・・・良い結果に喜びたい」という私の言葉に、「なんて大切なことを」「それを意志として、しっかり言える人ってそんなにいないです」と、「聞きながら感動していたんですよー」と話してくれました。

私、ふだんは、ポヤポヤしていて、フワフワしていて、天然さんみたいに思われることも多いのですが。笑

そういうことはね、しっかり、きっちり、意志を固めて、強い精神力が私にはあるんだと言い聞かせて進みたい、人生の大事な場面では、そうしていきたい、生きたい、ですからね。

そんな感じ。

「オンコタイプDX」検査で判明した私の乳がん再発の可能性

約1週間前にアップしたブログ。

doronkox.hatenablog.com

 

私の乳がん組織を、専門的な遺伝子検査「オンコタイプDX乳がん再発スコアプログラム」に出していることを書きましたが、今日の受診で、その結果を聞いてきました。

 

 

それで、今後の再発予防治療をどうするか、ドクターと話し合って、決めてきました。

それに関しては、繊細な話なので、間違いのないように記録し、また後日アップします。

そして、さらなる検査、私の乳がんが遺伝性のものであるかどうかをはっきりさせるための「遺伝子学的検査」も行うことにして、そのための血液採取をしてきました。

あの、アメリカの女優(最近は性別にかかわらず「俳優」に統一するようになっていますね)アンジェリーナ・ジョリーが受けて、遺伝の可能性があるとわかったために、乳がんに罹患していない両乳房を全摘出したことで知られるようになった検査です。

私の場合、母と、母の弟の娘(いとこ)が乳がんになりました。

検査費用の保険適用の対象者になるにはいくつかの一定の条件がありますが、母親が乳がん罹患者の場合は保険適用者となります。

 

 

院内レストランのランチ、大麦ポークの味噌ヒレカツ、おいちかったー!

 

通院のたびに楽しみにしているロビーの生け花。

黄色と青、私の好きな組み合わせの花色で、眼福、福眼でした。

手術から1カ月の日、ショートボブにして、雨のハナミズキを撮影して

今日21日は、乳がんの手術をしてちょうど1カ月。

えーっ、もう1カ月も過ぎたのーっ、て感じです。


日曜日だけど仕事があって、
お昼すぎに終わってから、遅いお昼ご飯を食べて、ヘアカットに。

40年もののロングヘアをボブにしたのが手術の1週間前のこと。

髪の毛が多いので、それがボンバーするようになってきて、
手に負えないので、レイヤーショートボブに。

短くしてみると、ほぼストレートだと思っていて自分の髪に
けっこうクセがあることがわかりました。

それにしても、もうちょっとゆるいクセだったのが、
年とともに、だんだん強いクセになってきたのかな?

と美容師さんと話していたら、
年齢に比例して髪が細くなると、
強くクセが出るようになるんですよね、と。

なるほどー!笑

今後、抗がん剤をやるかどうか、まだ判断がくだっていないのですが、
そうなったらまた短くして、髪の毛全抜けに備えて、
超超ショートにしてみようかなーと考えています。

ずーっとロングだったので、
ヘアスタイルをいろいろ変えて楽しむのが
やめられなくなっていきそう。笑

短くなって、さっぱりした後、
ちょっとだけ買い物をして帰ろうとウロウロしていたら、
視界に入ってきたハナミズキ(花水木)。

 

大好きなハナミズキ

 

 

今年は眺める機会がないなーと思っていたところ、
豊田市駅前で、「あー、咲いてるじゃーん、しかも満開」っと、
そぼ降る雨の中、撮影しました。

 

 

この春は、トヨタの本社界隈で桜を撮影した日も雨、
桜より好きなハナミズキを撮影した今日も雨。

 

 

雨の桜もハナミズキも、これまたいい。

 

〇×方式の教育で「考える力」が衰えていて、議論ができない

Facebookは、同じ日の過去の投稿を「思い出」として知らせてくれます。

12年前の昨日、2012年4月20日
その頃読んだ本の読後感を投稿していましたが、
今読んでも、そうそう、その通りだなと思ったので、
ここに転記しておきます。

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この本、面白い!
日本が好きで日本を知ろうとする外国人の視点は面白いですね。

『日本力』
 松岡正剛
 エバレット・ブラウン

今の日本の教育は〇か×かの、〇×方式。
だから「考える力」が衰えていて、議論ができない。
子供の頃からの「多読」が大切、と。

日本のいいところは「間」を大切にするところ。
白と黒との間にある、グレーゾーンとしての間。
しかも、そのグレーにグラデーションがある。

しかし、携帯電話やインターネットの浸透で、
せっかくの「間」の文化が生かされなくなっている。
ものごとを〇と×だけで判断し、
早く知ることだけがよいことのようになっていて・・・。

たとえば、あるものが「いい」と思っても、
「いい」としか言えない。
どういいのか、5分間褒めてみて、と言っても、
そのもののよさについて、
5分間にわたって褒められるだろうか、と。

 

 

以下、私の想い。

日本のインターネット文化は、
短文で端的にあらわすことをよしとしすぎていると感じています。
簡潔に表現することも大事な時もありますが、
深く考えたり、しっかり分析したり検証したり、
それを、ある程度長文で書くこと、そして読むことが、
ないがしろにされているんですね。

長文の読み書きに耐えられる素地のようなものは、
やはり、子供のころから習慣にしないと、
これからの日本は危ういような、
しかもそれは、かなりの危機であるような、
そんな気がします。

本来、「わびさび」を愛して、「間」が豊かで、
思慮深くもある日本人ですから、
長文の読み書きや、深い思考、分析・検証は、
実は日本人にはとても向いていることのはず。

そんな得意分野をきちんと認識して養成して生かせば、
またまた日本人はパワーをつけて、
かつ、自信もとりもどせるのでは。

また、そういうことに向かい合う、
時間的、精神的な余裕を持ちたいですね。

荒れ庭、自分の体の今後、そしてお昼寝するか

うちの雑庭にも春が来てる!

 

 

朝、自治会の中の自分の組でのミーティングを終えて帰宅すると、

手入れのできていない雑庭の小花たちがかわいらしく咲いていて、

しばし撮影タイム。

 


何もしていなくても、毎年春になると咲いてくれる宿根草たち。

たくましくて、かつ、かわいらしい。

えっ、それって最強じゃん!

 

 

さて。

お昼ご飯を食べながら、その間に仕掛けておいた洗濯物を、

食べ終わってから部屋干しして。

更年期障害のめまいと、足元のふらつきで、バランスが崩れて、おっとっとーと、

ラックに手をついて、事なきを得る。

 

 

それから、コーヒーを淹れて、SNSのコメントにコメント返ししたりして。

 

 

乳がんに関する知りたい情報集めと、勉強をと、パソコン前にいると。 

眠くて、眠くて、それに上半身が重く感じる。

 

 

はぁ・・・、やっぱり・・・、疲れやすくなっているかなーと。

 

 

 

どうしよう!な、どうしようもない、おいしいワイン

どうしよう!
サントリーの、酸化防止剤無添加の「おいしいワイン。」
そのco-op商品、わが家近くの生協では、1本、なんと税込み484円!
 

どうしよう!
本当に、おいしいんだよぉーっ!
484円という邪念込みでね。笑
 
だから、お酒は体に悪くはないものをと、ワインを選択してしまう最近、
リピートがやまない。

いまだ夜はストーブをつけて

最近の昼間は暑くなって、

汗っかきの私はすでにミニハンディ扇風機を持ち歩いているのですが。笑

帰宅して、夜。

室温が20℃ほどだと肌寒く感じて、

石油ストーブをつけているという、その矛盾というか、その落差。

とくに、乳がんサバイバーになってから、低体温の体質はやはりよくないと、

体温が下がりすぎないように、部屋をぬっくぬくにしておきたくて、

躊躇せずにつけています。

 

 

今期の冬は、ほとんどエアコンを使いませんでした。

火の暖かさって、ほわーっと全体が暖かく、

かつ、優しい暖かさで、エアコンでは叶えられない暖かさなんですよね。

もう4月も半ばを過ぎましたが、あと何日、ストーブをつけるだろうか?

 

乳がん再発スコアプログラム・オンコタイプDXの結果を今日聞く予定だったけど

以前の投稿でもふれましたが、乳がんの手術で摘出されたシコリを中心にした私のがん組織を、専門的な遺伝子検査に出しています。

いよいよ明日の外来で、その結果が知らされます。

その結果によって、今後の再発予防のための治療方針を決めていくことになりますが、大きくは、抗がん剤をやるかどうか、ということ。

その専門的な検査とは、「オンコタイプDX乳がん再発スコアプログラム」というものです。

以下、素人の私がここで説明して、間違いがあるといけないので、専門的な記事から引用させてもらいながら記します。

まず、こちらから、引用。

oncolo.jp

【オンコタイプDX乳がん再発スコアプログラムとは】

『オンコタイプDX乳がん再発スコアプログラムは、米国で2004年から行われている「オンコタイプDX乳がん再発スコア検査」と、日本向けに開発したソフトウエアを組み合わせたプログラム医療機器。

同検査では、一定の条件を満たす乳がん患者を対象に、乳がん組織に含まれる21個の遺伝子を調べ、各遺伝子の発現状況から独自のアルゴリズムにより、0~100までの数字で表される再発スコア結果を算出する。

再発スコア結果は、術後にどの程度再発しやすいかの予測とあわせ、術後薬物療法を検討する際に、「ホルモン療法」に「化学療法」を追加するかどうかの意思決定の助けになる情報を提供する。

「同プログラムは、ホルモン受容体陽性、HER2陰性で、リンパ節転移が無いか、あっても3個以内の早期浸潤性乳がん患者を対象に、遠隔再発リスクを提示し、化学療法の要否の決定を補助するもの」』

----以上、引用終わり------------------------------------------------

上記にあるように、その遺伝子検査検査は「一定の条件を満たす乳がん患者を対象に」というもので、その一定の条件とは「ホルモン受容体陽性、HER2陰性で、リンパ節転移が無いか、あっても3個以内の早期浸潤性乳がん患者」であること、です。

なんと、私の乳がんは、その一定の条件に合致するという結果が術後にわかっていました。

具体的に私の乳がんタイプは。

●浸潤がん(一般的ながん)
●腫瘍の大きさ:3cm
●リンパ節転移なし
●ステージⅡA
●ホルモン受容体:陽性
     (エストロゲン受容体・プロゲステロン受容体ともに)
●HER2(ハーツー)蛋白:陰性
●核グレード(活発さ):2(1~3のうち)
●Ki67(増殖力指標):25%(20%以上が増殖力高とされる) 

「ホルモン受容体」「HER2(ハーツー)蛋白」とは何か、詳しくはこちら、東京医科大学病院の解説がわかりやすいので、興味があるかたは読んでみてください(乳がん全般について解説されています)。

hospinfo.tokyo-med.ac.jp

 

私の乳がんタイプが、その検査の対象者だとわかり、ドクターから、検査を受けるかどうか、考えてみてくださいと言われたのが手術後初の外来診療の日。

実は、乳がんの告知を受けてから、ドクターからの説明や、ドクターへの質問、それでわかったことをさらに詳しく知ろうと、自分でいろいろと調べ、勉強している中、この「オンコタイプDX乳がん再発スコアプログラム」を知りました。

けれど、まだ自分の乳がんが、その検査対象となるタイプなのかどうかは不明な段階だったので、そんなに掘り下げて知ろうとは思っていませんでした。

やがて、もし、その条件と合致したら、と。

そうしたら、なんと、前述のように、タイプが合致。


では、その検査で、何がわかるのか、ここでまた専門的な記事から引用します。

cancer.qlife.jp

※↑オンコタイプDX検査が保険適用になる前の記事ですので、記載内容に留意してお読みください。

『オンコタイプDXはアメリカの会社(ジェノミックヘルス社)が開発した検査で、再発にかかわる21種類の遺伝子の発現状況を解析し、10年以内に再発するかどうか、その確率を予測します。

検査の結果は、再発スコアとして0~100の数値で点数化され、18未満は低リスク、18以上31未満は中間リスク、31以上は高リスクと分類されます。

 再発スコアの結果から、高リスクの患者さんには、再発予防として抗がん薬治療を行い、低リスクの患者さんではホルモン療法薬のみ行う、といった治療方針の目安にすることができます。』

----以上、引用終わり------------------------------------------------

手術前、私の乳がんの事前検査によってドクターから伝えられていたのは、手術後は、まず放射線治療を行い、その後、5年あるいは10年にわたってホルモン剤を服用し続けるという予測。

それが、手術を終えててからわかったことが、シコリの大きさが2センチちょっとという予測から、実測で3センチだったこと。

また、前述のように、オンコタイプDXの対象者と判明したこと。

検査の結果、そのスコアによって、私は、抗がん剤をやったほうがいいか、やらなくてもいいか、それが判明するのです。

たとえば、私より進行して、リンパ節への転移が少しあった人の場合、以前なら、ぜひ抗がん剤をという意思でもって行う人も少なからずいたのが、再発スコアが低いとわかれば、副作用が不安な抗がん剤をやらないでおく、という判断もできるのです。

逆に、私のようにリンパ節への転移がなくても、再発の可能性が高いとされるスコアが算出されていれば、抗がん剤をやることに大きな意味があると判断できます。

さて、私の結果、どうなるやら。


最後に。

「オンコタイプDX乳がん再発スコアプログラム」は、昨年(2023年)の9月1日以降から保険適用された検査で、それまでは、希望者は全額自費で行わなければならず、その金額は約50万円。

保険適用されて、後期高齢者以前の者なら3割負担となり、私のような条件が合致する乳がんタイプの人には提案していますと、ドクター。

3割負担といっても、それでも約15万円。

一般的に考えて、でも、高いな・・・、と感じる人のほうが多いてしょう。

幸運なことに、私は大企業健保の組合員なので、負担金2万円で検査が受けられ、ドクターには即答で「受けます」と。

※オンコタイプDXの保険収載について
 大阪ブレストクリニック院長blog

www.osaka-breast-clinic.com

 

乳がんになったのも偶然。

その乳がんタイプが、検査の条件に合致したのも偶然。

乳がんになって手術を受けたのが、その検査が保険適用された直後だったも偶然。

大企業健保の組合員になったのも、これも実は偶然。

しかもそれは、検査が保険適用となったのと同じ昨年9月1日から。


私の検査結果も、一つの臨床・データとして蓄積し、今後の乳がん治療のために生かしてほしいという思いもあって、その、新しい検査を希望しました。


明日の結果が出て、「抗がん剤やりましょう」となってからでは、こんな長々とした、くそまじめな文章は綴れないと思って、今、こうして記してみました。

さて、どうなるかな。

って、もう結果は判明して、スコアは出ていて、私がそれを聞くのが明日、というところがモヤモヤポイント。笑

※と今朝(17日)になって・・・。

 

外勤お仕事もお休みなので、まだ寝ていた9時過ぎに病院から電話がありまして。

病院秘書(?)の女性が「〇〇〇〇さんの携帯ですね、ご本人で間違いないでしょうか? では電話を◎◎医師に変わりますね」と。

ドクター◎◎いわく。

オンコタイプDXの検査結果がまだ出ていないので、今日の受診どうしましょうかー?

もし、傷が痛むとか腫れているとか、そういったことがあれば来ていただきたいですが、どうされますか?

検査結果が出てからにされるようでしたら、再度受診日時を設定しますよー、と。


というわけで、1週間先の24日・水曜日に受診、結果を聞くことになりました。

もぉーーーーーっ、ドクターから直電って、びっくりするじゃないか!笑

何かよくないことが起きているのかよー、って。

そうじゃなくて、よかったー。


ドクター、
「今日来てもらって、結果まだ出てませんとなって、そうすると、時間と労力の無駄遣いさせちゃうことになりますもんねー」って。

もうその通りなんだけどさ。

ドクター、私に会いたくないのかしら?って。笑


※ドクター◎◎は、「・・・ですからねぇー」「はぁーい、そうですよねぇー」っていうしゃべり方をします。笑

乳腺外科という、患者さんが、ほとんど(というか、ほぼ全員)女性という特性から、そうなってしまうのかも、ですね。

 

※「乳がん再発スコアプログラム・オンコタイプDX」を開発した

米国企業・ジェノミックヘルス社、それを日本向けに提供している

日本法人・エグザクトサイエンス社による、

検査に関する詳しい解説はこちらです。

www.exactsciences.com

 

※同じくジェノミックヘルス社による

術後の再発リスクを予測し、抗がん剤の必要性を判断するのに役立つ

多遺伝子アッセイとは?

www.nyuganchiryo.jp

 

乳がん告知されてからこれまで、ドクターに質問して、ものすごい勢いでいろいろ調べて、勉強して、我ながら、久しぶりに膨大な知識を頭に詰め込んでいるなぁと。

 

まあそれは、本業であるインタビューライターとしての習性なので、まったく苦痛ではになくて、むしろ快感というか、そうすることで自然に、不安で心配な気持ちを紛らわそうとしているのかもしれないですね。

「ありがとう」のボールペン

外勤お仕事に復帰して、

「長い間お休みさせていただいて、みんなありがとう!」の気持ちを込めて、

お礼のお品を部署の皆さんに。

想像以上に喜んでいただいて、嬉し!!

私も使っている、書きやすく、持ちやすく、なんかデザインも好きなボールペン。

写真は黒いボディですが、同じシリーズの白とグレーも。

描き線のサイズは、0.5ミリと0.7ミリ。

どの組み合わせが当たるかのお楽しみ!

 

 

部署の皆さん、そんなに長期ではないけど帰省や旅行などでお休みした時、

お土産の、おいしいお菓子を配ってくれます。

今回の私は、入院・手術でのお休みだから、どんなものがいいかな?と。

そこで思い出した!

母が長期入院して、寝たきりで、

とてもとてもお世話になった療養型病院の看護師さんたちに、

「ありがとう」の気持ちを伝えたくてお渡ししたあれ、と。

現在は、病院側が一切の金品を受け取らないことがほとんどですが、

どうしても感謝の気持ちを伝えたくて、母を担当して、

常々私と連絡を取り合ってくれた、

気心知れたソーシャルワーカーさんを通じて

病棟ナースさんたちに渡してもらいました。 

その時の、あのボールペン。

思い出も詰まったアイテム、新たな仲間たちに喜んでもらえて、よかったです。

 

嫌いだった生まれた街、じわじわと、悪くはないと感じるようになってきたところに

4月8日、仕事復帰のための産業医との面談の後、
雨の中で撮影したトヨタ本社界隈の桜。
 
寂し気な写真ばかりなので、
スマホのフィルタ機能で遊んでみたよ。
 
 “ペイント”フィルタで、左上から時計回りに、
クレヨン、鉛筆、色鉛筆、水彩色。
 

 

 続いて“クラシック”フィルタで。
 
左上から時計周りに、
バレンシア・イリュージョン・ブルー・ハンサム。
 
なんか、奇妙なネーミングだな。笑
 

 

最後に、トヨタ自動車の旧本館。
ここは、1960年(昭和35年)8月に完成。
レトロな、美しい建築です。
 

 
 
私たち、昭和の豊田市の子どもたちは、工場見学に来ると、まずこの本館に到着。
ここでレクチャーを受けたり、展示車両を見たりして、
エントランスのスロープで集合写真を撮影。
 
バスに乗って工場まで行き、車が作られていく様子を見学したのでした。
 
スマホのフィルタ機能、
ノスタルジア・幼少時代”に変換してみました。
 
私にとって、まさしく“懐古”の風景。
 
大学進学で東京に暮らすようになって、
30年近く、この、ふるさと豊田市を離れて、
出戻りUターンした時は、この街を好きになれなかった。
いや、嫌いでした。
 
それが、じわじわと、そろそろと、
悪くはないと感じるようになってきた頃に、
父が、母がと、あいついで旅立ち、
そして今回、私に乳がん宣告。
 
両親と同じく、この街にどっぷりつかって暮らしている自分が、
なんだか、不思議な感じ。

外勤お仕事に復帰

2日前から外勤お仕事に復帰したのだが、

乳がん手術明け(手術日から3週間)の私を、

みんながすごく気を使ってくれて嬉しいけど、

反して、「あれ?超元気?」

みたいに見えるらしい私に戸惑っていることがわかるので、

その反応への対応をどうしようか、

それが今の私の一番の難題な感じ?

 

 

思いやりを持とう。許す気持ちを持とう。それは自分もそうしてもらえるってことなんだよ。とにかく優しく親切にするんだ。その些細なことが誰かのこういう行動を止めることだってあるんだよ。

4月8日、月曜日に配信されていたYahooニュース。

JR東海道線で、相次いで二度の人身事故がという、悲しいニュース。

Yahooニュースといえば、そのコメント欄。

通称「ヤフコメ」と言われ、
かつては、読まなきゃよかったと思って後悔するような、
辛辣な、えげつない、投稿者の不満の吐き出し、
それに、誹謗中傷ともいえるコメントの捨て場所の
ようになってしまっていて、
運営側も困り果てていたことは、ご存知のかたも多いでしょう。

それで、運営側が対策に乗り出し、
コメント投稿に携帯電話番号の登録を必須化したら、
そのような、悪意でしかないコメントが激減。

今は、それなりに安心してコメントを読めるようになりました。


そして、冒頭のニュース記事のこと。

そのニュースへのコメントを読んでいたら、
心が救われるような、慈愛に満ちた、
「みんな読んで」と言いたくなるコメントに出会いました。

それを、そのまま転記します。

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自分以外はみんな幸せに見える。

ちゃんとしてるように見える。

何でも乗り越えているように見える。

“見える”だけ。

自分はこうならないと思う。

ちゃんと生きていけると思ってる。

何でも乗り越えていくんだろうって思ってる。

“思ってる”だけ。

心なんてね、
いつ取り返しがつかないレベルまで
落ち込んでしまうかなんてわからないし、
誰しもその可能性を持ってる。

自分は一生絶対に関係ないって笑ってた奴が何人も鬱になった。

明日は我が身。

だからさ、
無関係に思える人にも優しくしよう。

思いやりを持とう。

許す気持ちを持とう。

それは自分もそうしてもらえるってことなんだよ。

とにかく優しく親切にするんだ。

その些細なことが
誰かのこういう行動を止めることだってあるんだよ。

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多くの人が、そう思って、そういう心を持って、
同じこの世でともに生きていけたら。

行かなくていいところに行く人が助けられ、
救われる人が、きっと確実に増えるでしょう。

私も、「優しさは世界を救う」と、
たびたびSNSなどに投稿してきました。

でも、軽いフレーズのような、
ていのいいキャッチコピーのような言葉だと思われたり、
そんなきれいごとみたいな話、うまくいかないよと言われたり、
いつでも優しくするなんてムリ、などと言われたり。

まあ、そんなもんなんですかね。

でも真剣なんだ。


だから、これからもずっと、主張し続けますよ。

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思いやりを持とう。

許す気持ちを持とう。

それは自分もそうしてもらえるってことなんだよ。

とにかく優しく親切にするんだ。

その些細なことが
誰かのこういう行動を止めることだってあるんだよ。

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20代前半の頃、死にたいなんてまるで思わないのに、
自殺念慮に憑依されたかのような
トランス状態に引き込まれることがよくあって、
そこに輪をかけてパニックシンドロームが襲ってくることが頻繁になって、
やがてそれを克服した私が思うことと、
このコメント主が訴えていることが、完全に一致するんです。

11年前、同じ桜の木の下で

今年は桜を眺める余裕がなくて、

それでも、どうしても見ておきたい特定の桜の木があって、今日、それが実現しました。

(※4月5日に他に投稿したものの転載です)

私が乳がんの手術を終えたばかりの病院の前庭の桜。

 

 

11年前の2013年2月11日、元気だった父が脳梗塞で救急搬送され、

その2日後の13日に、

「あぁ、桜の新芽がぷっくりしてきてる、お父さん元気になってね」

と願いながら見つめた厳冬の桜の若芽。

 

 

幸い、麻痺など後遺症もなく退院した父ですが、

2018年7月7日、七夕さまの日に旅立ちました。

この同じ病院に母が救急搬送されたのが、2021年1月22日。

実はそのずっと前の2009年8月、

母は、この病院で、私と同じ左乳房乳がんで部分切除。

5年経過、10年経過までも元気に過ごし根治。

父もでしたが、認知症にも無縁で、90歳は軽く超えるなと思っていたのに、

3年前のお正月明け、コロナ禍真っただ中に急な体調異変が起きてしまったのでした。

話は長くなるので別の機会にしますが、いきなり全身麻痺の状態になり、

一つの疑いとして脳腫瘍も挙げられましたが、

85歳になる年で、高齢の体に負担をかけないよう、

開頭して行う厳しい検査や治療はしない決断をしました。

そして、2021年10月21日、父のもとへ。


さて、桜の話。

父が、母が、そして私までもが大病で過ごした病院の前庭の、その桜。

今日、あいにくの時々雨の、曇り空の下ででしたが、この目で見て撮影してきました。

楚々と、かわいらしく。

お父さん、お母さん、見えてるよね!

私の乳がんとの闘い、応援してね!

と、そっと心で思いました。

 


※以上、青空の下での写真が、父が脳梗塞で入院していた2013年2月のものです。

しっかし私、この7年間で、私より元気だよね?

みたいだった父と母の急な老体化で在宅看護で、

フリーランスライター離職状態になり、二人を看取り、復職し、

しかしコロナ禍でコロナになり、復活し、

するとその1年後に乳がん告知され、手術して、今日にいたり。

よくやってきたよなと、我ながら感心します。

乳がん告知から手術の日を迎えるまで

※3月31日に、仕事仲間が集うSNSに投稿した文章を少しアレンジして転載します。

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2024年のお正月から今日までの約90日間、いつもの年ならあっという間に過ぎた、

よくある年度末の3カ月にすぎなかったでしょう。

ですが、今回に限っては、私にとって人生で一番の怒涛の、

変化に満ちた3カ月となりました。

それは予想もしなかった、がん告知から、手術の終了までの、

あっという間のような、逆に、長かったような3カ月間。

2023年12月23日・土曜日の夜、左胸のシコリを発見。

25日・月曜日、

地元の、家族がさんざんお世話になってきた大病院に検査依頼の連絡。

そこは、“がん拠点病院”でもあり、

がんとわかったら、ここで手術したり治療したりすることは、

もう決まっていることと、自分に言い聞かせるようにしての検査依頼。

さっそく26日・火曜日と27日・水曜日とで検査できますということになり、

乳腺外科にて、エコー、マンモグラフィ、シコリの針生検を。

 

 

その精査結果を待ち、2024年1月9日、悪性、乳がん告知。

クリスマス、大晦日、元日・お正月、松の内と、

世間が喧しく楽しく過ごす間は、私の胸のシコリは悪性なのか良性なのか、

その結果を知るまでにジリジリと待つ時間でした。

それは、ただただ、「もうわかってるから、早くがんだと教えて!」

という思いだけで過ごした時間でした。

そして、思いがけなく心は穏やかで、楽しいことは楽しく、

何より仕事でいそがしく過ごした日々でした。

検査の前から、これは乳がんに間違いない、100%乳がん、いや1000%だと、

それくらい自分で乳がんであることに違いないという自信のようなものが

確立していたのです。

不思議なことに、どうか良性腫瘍で、乳がんでないことを祈る、

などという気持ちや願いは微塵もありませんでした。

 

 

検査を受けたことを話した友人・知人たちの中の何人かがかけてくれた、

「きっと大丈夫だよ」「いい結果が出ることを祈ってるよ」という優しい言葉に、

正直言って、心の中で、「大丈夫じゃないことはわかっているんだなー」と、

反発を覚えながら黙っていました。

それくらい、絶対乳がんを確信していたのでした。

そして、その通りの検査結果、告知。

まったくショックは受けませんでした。

今振り返ると、結果が分かる前に、がんに違いないと確信することで、

もうそうと受け止め、ショックを受けないように冷静でいたいと、

そういう精神状態を自分で構築していったのかもしれないなと考えています。

もう一つ、ショックを受けなかった要因は、

かつて母も、左乳房外側に、まるで同じ様相の乳がんが発見され、

同じ病院の同じ乳腺外科で部分切除手術をして、

5年経過、10年経過も再発・転移なく、

元気に過ごしてこれたから。

それと、母の弟の娘、いとこも乳がんを患ったこと。

そんなことから(遺伝的な要素が強いとされる乳がんだから)、

私も生きているうちに必ずに乳がんになるだろうという覚悟が、

それ相当にあったこと、でしょうか。

 

 

告知を受けた日に、手術前提で、その日を3月21日と決め、

それまでに必要な検査の日程が組まれていきました。

大きなものではCT検査とMRI検査。

CTは、体の他の臓器への転移がないかを確認するため。

MRIは、乳房のシコリから、周りにがんが広がっていないか、

広く浸潤していないかの確認のため。

最初の告知を待つより、

それらの精密検査の結果を知るまでの期間のほうが精神的にきつかったです。

もしかして臓器転移しているかも。

もしかして、乳房全体に、それにリンパ節にも浸潤しているかも、と。

いきなり余命告知も、なくはないと思っていなければ、と。

結果は、シコリの大きさは2センチ少しで、早期としては、やや大きいが、

転移も広い浸潤もなく、部分切除でいけるとされました。

希望すれば、乳房全摘出もありで、私のような段階で、部分切除と全摘出、

本人がどちらを選択するかの割合は半々と。

5年生存率・10年生存率は、近年ではほぼ違いがなく、

全摘出を選択する理由は、その後の放射線治療を施さなくていいことが

大きいという話も。

ドクターから、そういった話を聞いたのが2月6日のことです。

そうとわかったら、もう手術の日を待つだけです。

ただ、部分切除にするか、全摘出にするかの結論は、

まだ待ってもらうことにしました。

ドクターは、手術までの間に2回の面談日を設けてくれて、

1回目の相談の後、部分摘出でいこうと決意できましたが、

2回目の面談で、それを伝えました。

 

 

そして、入院、手術、経過順調、退院と、ここ最近、綴ってきた通りです。

(※以降のアップで、その間のことを転載していきます)

明日、新年度を迎えて、翌4月2日は、手術後初の外来診療の日。

摘出された部位を、精密に厳密に病理検査した結果が告げられる日ですが、

ここでもまた、少しの不安を抱いています。

手術前の、今までの検査結果が、がんの広がりなし、広い浸潤なしであっても、

摘出部位の厳重なる検査によって、それが認められるケースもあるからです。

さらに、ごく稀にですが、手術で取り切れていないがん細胞が

乳房に残されている可能性があるとされて、

再検査・再手術ということも、ごくごくわずか、あるそうで。

4月2日は、またまた、覚悟を決めて結果報告に臨む日です。

あ、冒頭に「乳がんに始まり終わった」としましたが、

まだ終わっていないんだな、これが。

そして、この新年度は、

乳がんになっていなかったら、お正月明けから手をつけたいと考えていた

本の出版を目指しての執筆を、いよいよスタートしなければ、です。