季節めぐり

季節はめぐり、人生もめぐる、乳がんサバイバーになりました

乳がん告知から手術の日を迎えるまで

※3月31日に、仕事仲間が集うSNSに投稿した文章を少しアレンジして転載します。

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2024年のお正月から今日までの約90日間、いつもの年ならあっという間に過ぎた、

よくある年度末の3カ月にすぎなかったでしょう。

ですが、今回に限っては、私にとって人生で一番の怒涛の、

変化に満ちた3カ月となりました。

それは予想もしなかった、がん告知から、手術の終了までの、

あっという間のような、逆に、長かったような3カ月間。

2023年12月23日・土曜日の夜、左胸のシコリを発見。

25日・月曜日、

地元の、家族がさんざんお世話になってきた大病院に検査依頼の連絡。

そこは、“がん拠点病院”でもあり、

がんとわかったら、ここで手術したり治療したりすることは、

もう決まっていることと、自分に言い聞かせるようにしての検査依頼。

さっそく26日・火曜日と27日・水曜日とで検査できますということになり、

乳腺外科にて、エコー、マンモグラフィ、シコリの針生検を。

 

 

その精査結果を待ち、2024年1月9日、悪性、乳がん告知。

クリスマス、大晦日、元日・お正月、松の内と、

世間が喧しく楽しく過ごす間は、私の胸のシコリは悪性なのか良性なのか、

その結果を知るまでにジリジリと待つ時間でした。

それは、ただただ、「もうわかってるから、早くがんだと教えて!」

という思いだけで過ごした時間でした。

そして、思いがけなく心は穏やかで、楽しいことは楽しく、

何より仕事でいそがしく過ごした日々でした。

検査の前から、これは乳がんに間違いない、100%乳がん、いや1000%だと、

それくらい自分で乳がんであることに違いないという自信のようなものが

確立していたのです。

不思議なことに、どうか良性腫瘍で、乳がんでないことを祈る、

などという気持ちや願いは微塵もありませんでした。

 

 

検査を受けたことを話した友人・知人たちの中の何人かがかけてくれた、

「きっと大丈夫だよ」「いい結果が出ることを祈ってるよ」という優しい言葉に、

正直言って、心の中で、「大丈夫じゃないことはわかっているんだなー」と、

反発を覚えながら黙っていました。

それくらい、絶対乳がんを確信していたのでした。

そして、その通りの検査結果、告知。

まったくショックは受けませんでした。

今振り返ると、結果が分かる前に、がんに違いないと確信することで、

もうそうと受け止め、ショックを受けないように冷静でいたいと、

そういう精神状態を自分で構築していったのかもしれないなと考えています。

もう一つ、ショックを受けなかった要因は、

かつて母も、左乳房外側に、まるで同じ様相の乳がんが発見され、

同じ病院の同じ乳腺外科で部分切除手術をして、

5年経過、10年経過も再発・転移なく、

元気に過ごしてこれたから。

それと、母の弟の娘、いとこも乳がんを患ったこと。

そんなことから(遺伝的な要素が強いとされる乳がんだから)、

私も生きているうちに必ずに乳がんになるだろうという覚悟が、

それ相当にあったこと、でしょうか。

 

 

告知を受けた日に、手術前提で、その日を3月21日と決め、

それまでに必要な検査の日程が組まれていきました。

大きなものではCT検査とMRI検査。

CTは、体の他の臓器への転移がないかを確認するため。

MRIは、乳房のシコリから、周りにがんが広がっていないか、

広く浸潤していないかの確認のため。

最初の告知を待つより、

それらの精密検査の結果を知るまでの期間のほうが精神的にきつかったです。

もしかして臓器転移しているかも。

もしかして、乳房全体に、それにリンパ節にも浸潤しているかも、と。

いきなり余命告知も、なくはないと思っていなければ、と。

結果は、シコリの大きさは2センチ少しで、早期としては、やや大きいが、

転移も広い浸潤もなく、部分切除でいけるとされました。

希望すれば、乳房全摘出もありで、私のような段階で、部分切除と全摘出、

本人がどちらを選択するかの割合は半々と。

5年生存率・10年生存率は、近年ではほぼ違いがなく、

全摘出を選択する理由は、その後の放射線治療を施さなくていいことが

大きいという話も。

ドクターから、そういった話を聞いたのが2月6日のことです。

そうとわかったら、もう手術の日を待つだけです。

ただ、部分切除にするか、全摘出にするかの結論は、

まだ待ってもらうことにしました。

ドクターは、手術までの間に2回の面談日を設けてくれて、

1回目の相談の後、部分摘出でいこうと決意できましたが、

2回目の面談で、それを伝えました。

 

 

そして、入院、手術、経過順調、退院と、ここ最近、綴ってきた通りです。

(※以降のアップで、その間のことを転載していきます)

明日、新年度を迎えて、翌4月2日は、手術後初の外来診療の日。

摘出された部位を、精密に厳密に病理検査した結果が告げられる日ですが、

ここでもまた、少しの不安を抱いています。

手術前の、今までの検査結果が、がんの広がりなし、広い浸潤なしであっても、

摘出部位の厳重なる検査によって、それが認められるケースもあるからです。

さらに、ごく稀にですが、手術で取り切れていないがん細胞が

乳房に残されている可能性があるとされて、

再検査・再手術ということも、ごくごくわずか、あるそうで。

4月2日は、またまた、覚悟を決めて結果報告に臨む日です。

あ、冒頭に「乳がんに始まり終わった」としましたが、

まだ終わっていないんだな、これが。

そして、この新年度は、

乳がんになっていなかったら、お正月明けから手をつけたいと考えていた

本の出版を目指しての執筆を、いよいよスタートしなければ、です。