今日、6月4日といえば、この忘れ得ぬ歴史的出来事につきる。
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天安門事件が起きた1989年、私は大学を卒業して2年目で、
新卒就職はせずに、大学時代からのアルバイトを続けていました。
といっても、3社のアルバイトかけもちで、
おそらく、まともに就職した同級生たちより忙しい日々。
その一つが、都内で飲食店展開をしている会社が運営する居酒屋。
店には、都内の、あの国立大学医学部に通う中国人留学生の女性が
アルバイトとして通っていました。
店内にはテレビモニターが設置してあり、
普段は国内外のヒット曲のプロモーション映像が流されていましが、
たとえば、注目の野球の対戦があったり、
見守りたいニュースがある日などはテレビ番組に切り替えて、
スタッフ、お客さんともども、その画面をチラチラと観ていました。
天安門事件のその日、私も、中国人留学生の彼女も、店に出ていました。
そして、天安門広場に集結した市民や学生たちと人民解放軍が衝突する、あの場面。
テレビでは、それが繰り返し流されていました。
その日は、来客数もあまり多くなく、
スタッフたちも、その画面を息を飲んで見守っていたのです。
その途中、突然に、中国人留学生の彼女が、わっと泣き出し、
そのまま、スタッフが着替えなどをするバックヤードに駆け込みました。
びっくりしました。
皆、ただ呆然とするだけで、どうすることもできませんでした。
私は、そして、きっと、その場にいた他のアルバイトスタッフも、
中国人である彼女が、その映像を見て何を思っているのだろうかと、
そういうことは考えていましたが、なにしろ、20何歳かの若者ばかり。
彼女を含めた皆で、その光景を前にして、どんな会話をすればいいのか迷うばかりで、
いつになく、シーンとした店内になっていたことを記憶しています。
そんな重苦しい空気の中で、泣きだしてしまった彼女。
店長が、「今日は、もう帰ろうか」と声をかけると、
うんと頷いて、閉店前に早退することになりました。
その直後、彼女は1カ月ほど帰国するということでアルバイトを休むことに。
そして、再びアルバイトに復活した時、思っていた以上に晴れ晴れとした様子で、
私たちも、思うところはありながらも、
なんとなく救われた気分になったのでした。
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中国の大学医学部を出て医師として働き始めていながら、
日本に医学部大学院留学生として来日したのだと言ってたな。
今は、どうしているかな。
このたびの新型コロナ禍の中でも活躍した(している)のかな、と。