季節めぐり

季節はめぐり、人生もめぐる、乳がんサバイバーになりました

山手線で、偶然出会ったおばあちゃんと話した東京大空襲のこと

2012年の3月10日、

かつてのブログにこんなことを綴っていました。

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1年前の3月11日に日付が変わってすぐ、
あるSNSの日記に、
昭和20年3月10日の東京大空襲のことについて書きました。

それから十数時間後に、
あの大震災が起きることは予想だにしていませんでした。

その昨年の日記を、
少し手を加えて、ここに採録します。

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3月10日は、東京が大空襲を受けた日です。
昭和20年(1945年)のこと。

東京が、初めて空襲を受けたのは、昭和19年(1944年)11月14日のことで、
以後、終戦までに106回の爆撃を受けたそうです。

 

ja.wikipedia.org

 

あの戦争の終結間際、
東京をはじめ、日本中の都市が空襲を受けて、多くの命が失われましたが、
そのことについて、ことの大きさに見合うほどに語られていません。

私も、テレビの特集で見たり、本を読んだり、
年配の方に、ほんの少し聞いただけの知識しかありません。

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実は、2年前の夏、こんなことがありました。

山手線に乗って出先に向かっていた時のこと、
隣に座った、とても元気はつらつな感じのおばあちゃんが、
「あらまあ、あなたのそのワンピース、かわいいわねぇ~!」と、話しかけてきました。

「あ、はい、ありがとうございます」と照れながら、
「としがいもなく、かわいいワンピースやスカートが好きなんです~」、
なんて話しているうちに、
私が興味を持ったのは、そのおばあちゃんのカッコよさ。

おばちゃん、ではなくて、明らかに、おばあちゃんなんですが、
白髪の具合が、なんともバランスいいショートカットに、
白い細身のパンツを履いていて、背筋もピーンと伸びているんです。

私が、
「すごくカッコいいですね。女優さんみたいに、シャキっとしていらっしゃる」と話すと、
「あなた、そりゃそうよ、今も、日本舞踊のお稽古をつけてるのよ」と、うれしそう。

よく聞くと、日本舞踊のお師匠さんで、
今は一線から引退しているけど、継承者を増やしたくて、
まったくのボランティアで、若い人たちにお稽古をつけていると。
年齢は、当時の私の父と変わらない、70代半ば。
東京の下町で生まれ育ったことなどを話してくれました。

私が、ふと、
「ということは、東京大空襲を子どものころに体験されているんですね」と聞くと、
東京大空襲を知ってるの?」と、よくぞ聞いてくれたという表情になり、
戦争の時の記憶を、いろいろと語ってくれました。

住んでいた下町の一帯は焼け野原となり、
おばあちゃんは、クラスの中で、たった二人だけ生き残ったうちの一人。

その時から、戦争で亡くなった友だちのためにも、
がんばって生きて、元気に過ごして、
できるだけ長生きして、はつらつとしたお年寄りになりたいと思ってきたそうです。

そういう想いが、今の、清々しいほどに元気な姿につながっているんだなぁと思うと、
しみじみとしてきて、泣けそうでしたが我慢して聞いていました。

そして、私より、1駅先に山手線を降りるというおばあちゃんは、
降りる間際、手芸が得意な友だちからもらったという、
かわいい金魚柄の、手づくりの巾着袋をバッグから取り出して、
「若い方と、まさか東京の空襲の話ができるなんてね、私、とてもうれしかったわ。
コレ、使ってね」と、渡してくれました。

「いい出会いって、ほんとうにあるものね。またお会いできるといいわね~」と、
山手線から降りていったおばあちゃん。

せめて、名前だけでも聞こうかどうかと迷いましたが、
迷っているうちに、ドアが閉まって出発してしまいました。

ほんとうに、一期一会、いい出会いでした。

そのおばあちゃん、この3月10日を、どう迎えたでしょうか・・・。
きっと、今も元気で、東京の下町を闊歩していることと思います。

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あの時のおばあちゃん、

きっと今も、今も元気に東京の街を闊歩しているでしょうか。

そうあってほしいです。

 

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3月10日がくると、手に取ってみる本がありますが、

今年はまだ手にしていませんでした。

 

一つは内田百閒の『東京焼盡』です。

 

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そしてもう一冊、吉村昭の『東京の戦争』です。

 

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そしてまもなく、あの3月11日。

 

 

 

トイレットペーパーの思い出と、そのストックとマスクのこと

かなり久しぶりのブログアップです。

 

トイレットペーパーの話題で喧しいこの頃ですが、

そういえば、こんなトイレットペーパーがトイレの棚の奥に

しまいこんであるので、引っ張り出してきました。

 

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亡き父は、柄物の、かわいらしいトイレットペーパーがあると、

「こんなのがあったぞ~」と買ってきてくれることがあって(笑)、

上の写真は、きれいなバラ模様のものと、

くまモンプリントのペーパー」とパッケージに書かれていたけど、

実際には「え・・・、これ、くまモン?」てな感じのものでした、ってやつ。

(くまモンじゃないよね・・・)

 

バラのもは、これはキレイ!と思って、

くまモン(?)のものは、おもしろーい!と思って、

最後の1個をとっておいたのでした。

 

さて、そのトイレットペーパーですが、

我が家では、ここ5~6年は生協の宅配で、カートン(1箱)で購入しています。

1カートンに18ロールが6パック、合計108ロール入っているもの。

 

残りが2パックになったら注文していますが、

今回の騒動前に4パック残っていたので、

不安になることもありませんでした。

 

トイレットペーパーは、ドラッグストアやスーパーなどにも、

どんどん入荷しているようですが、心配なのはマスク不足でしょうね。

 

そのマスクも、50枚入りの箱を2個、常に買い置きしてあるので、

こんなに品不足になるとは予想していませんでしたが、

結果としてよかったと思っています。

 

健康ならば、マスクはしなくていいという意見や考え方もあるようですが、

とくに高齢者がいる家族は不安でしょう。

 

我が家では、季節性インフルエンザが

毎年のように騒がれるようになった10年ほど前でしょうか、

ちょうどその頃、両親が自分は高齢者だと自覚するようになり、

クリニックへの定期通院も始まっていたので、

50枚入りの箱でマスクを買い置くようになりました。

 

そのうちに、私自身も、

これくらいの量のストックは、

災害時のためのローリングストック(使いながら一定量をストック)に

なるとわかってきて、日頃の備えの一つと考えるようになったのでした。

 

ちなみに、両親と同居を始めたのも約10年前ですが、

それ以前の私は、

トイレットペーパーは、残り2ロールくらいになるまで買わなかったし、

マスクなんて、風邪もめったにひかず、花粉症でもないので、

必要でなければ買わず、1枚も持っていないのも当然でした。

 

というわけで、マスクは現在70~80枚ありますので、

品不足が解消される前までは十分足りると思いますが、

高齢者が多いご近所さんの中で、

ないので困っているという声があったら差し上げようと思っています。

 

父が古い種をばらまきした盛り盛りのマリーゴールド

 

マリーゴールドというと、

真夏の暑い時でも鮮やかな黄色やオレンジで咲き誇る花、

というイメージですが、

この写真は、2012年の今頃、

寒くなってきても、まだまだ盛り盛りと咲いていたマリーゴールドです。

 

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この年、2012年の春、父が裏庭の空いている所に、

マリーゴールドをはじめ、5種類ほどだったか、種を直播きしました。

それも、手に入れてから数年過ぎた、

発芽の期待ができない種ばかりを。

 

そのうち、3種類くらい発芽した記憶がありますが、

しっかり育って花が咲いたのは、

このマリーゴールドだけでした。

 

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どんどん育って、たくさんの花を咲かせたマリーゴールド

夏の暑い間、何度か切り戻しをしましたが、

また新しい側枝が出てきて、ますます咲いて。

 

その時まで、春にポット苗を買って育てたことが何回かありましたが、

一度花が咲いた後、必ずハダニがついて、

ヨレヨレになって枯れてしまうということを繰り返していました。

 

それが、種を直播きして、何の手入れもしていない苗が、

こんなに盛り盛りと育つなんて、なんてこと!と、

驚くやら、喜ぶやら、茂りすぎて少々困るやら、

そんな思い出がある、父のマリーゴールドです。

 

自由にさせていた(手入れをしなかった)マリーゴールドなので、

最後はこんなふうに根元が木質化して、

徒長して倒れ込んでいましたけどね。

 

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今回も、過去の今頃の投稿画像をFacebookが知らせてくれたので、

父をしのんで、ここにも載せておくことにしました。

 

お父さん、この場所、今は草がボウボウで、どうしましょ?(笑)

 

お父さんのマリーゴールドの実績にあやかって、

来年は、いろいろな花の種を直播き、ばらまきして、

自由に育つ花畑にしようかな?

 

かわいいサザンカが咲いて、秋だなぁと思っていたら怖いアイツが

 

何もしなくても毎年秋になると咲いてくれる、

かわいいピンク色のサザンカ(山茶花)。

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陽当たりがよくない裏庭にあるのですが、

毎年成長して、樹高が3メートル以上になっています。

 

剪定など、手入れがしやすい高さにとどめておきたいと思いつつ、

ついつい、できないままでいて、

今度こそ、寒い間に剪定しておかないといけないよなぁと。

 

そんな庭のサザンカ

部屋の中からズームで写真を撮っていたら、

何かチラチラするものが。

 

「おーっ、ハチが蜜を吸いに来た!シャッターチャーンス!」

と思って撮ってモニターで見たところ、

「わーっ、これって、オオスズメバチじゃないの?」って・・・。

 

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怖ーっ!!!

 

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もう11月だけど、まだいるのか。

 

調べると、11月中はまだ活動していることもあるそう。

 

裏庭の枯れてきた雑草の整理をしなきゃと思っていましたが、

まだしないことに決定です(笑)。

 

切ない感じには心地よい浮遊感がある。村上春樹氏の『遠い太鼓』

 

村上春樹氏の作品の中でも、

なぜなのか、何度も繰り返して読んでしまうのが『遠い太鼓』。

1990年の発行だから、もう23年前なんですね。

 

Facebookやかつてのブログに綴っていました。

1990年ということは、来年でもう30年。

 

かつての投稿を少し書き直して、

今も変わらず感じることをここに残しておきます。

 

『遠い太鼓』は、村上さんが奥さんと共に、

1986年の秋から1989の秋まで、

イタリアやギリシャの島、ロンドンなどで過ごした日々のことが綴られた、

滞在日誌のようなエッセイ。

 

何度も手に取っては、ところどころ、ペラペラとめくって、

ついつい読んでしまうのは、どうしてかなぁ、と。

 

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村上夫妻のヨーロッパでの出来事は、

いろいろと、きっちりとした日本とは違って、

えーーーーーっ!という出来事の連続。

 

 

何度も繰り返し読みたくなるのは、

想定外の出来事や、うんざりするような日々が続いても、

なんだか、それさえも楽しんでいるかのような、

実は、そういうことが人生の大半だよねと、

妙に納得させてくれるような、

そして、なんと言っても、

だからこその「切なさ」が全編に漂っているからでしょうか。

 

どう切ないのか、うまくは説明できないですが、

「心地いい切なさ」とでも言うのかな?

 

「心地いい」と「切ない」は相反する言葉のようですが、

フワフワした浮遊感のような、

その浮遊感が、疲れた心にちょっと気持ちいいような、

そんな切なさを感じるのです。

 

1990年前後、日本では、バブルの残り香がありながら、

もう、この熱狂は終わりかな・・・、という時代。

 

昭和から平成に変わったのは1989年。

その年、中国で天安門事件があり、

ドイツでベルリンの壁が崩壊した。

 

米ソ冷戦終結も1989年。

 

そして1990年に東西ドイツ統一。

 

そんな、世界的な体制転換に際して感じたのは、

歴史が、人の心の奥にある大切にしてきたものを、

ザックザックと乱暴に切り取っていくような感じ。

 

やがて喜ばしいと思うようなことが起きるかもしれないという時に、

なぜだか悲しいような、切ないような、寒気がするような、

そんな空気も漂っていたような気がします。

 

村上春樹氏が『遠い太鼓』に綴ったその時代、

外国で、それなりの期間を過ごすことは、

それ自体が切ないことだったのかもしれません。

 

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今のように、

どこにいてもインターネットで世界中の情報が集まり、

地球の裏側にいる人とも、

いつでも連絡がとれる時代ではなかったのです。

 

そういえば、当時、イギリスに住んでいた知人が、

寂しくなると日本語が読みたくなるから、

捨てる雑誌でいいから、

かなり古いバックナンバーでもいいから、

本の雑誌を送ってほしいと言ってました。

 

たとえば、生まれた時から

携帯電話やインターネットがある今の中高生、大学生たち。

彼らにとって、切ない感じって、どんな感じでしょうか?

 

四六時中LINEで連絡取り合うとか、

1日に100通以上のメールを送受信するとか、

それも、寂しいからやること? 心の切なさを埋めるため?

 

寂しくても、切なくても、

誰にも連絡をとらず、

一人、その切なさの中にいるという経験はしないのかな?

 

まあ、心というものを持っている人間、そんなことはないでしょう。

 

と、『遠い太鼓』を何度も読んでしまうのは、

やはり、全編に満ちている浮遊感、

それも、いつも心もとなく寂しいような感じ、

そんな感じが、どういうわけか、なんとも心地よくて、

その、切ないけど心地よかった時代を振り返りたくなるという

個人的感傷からかもしれません。

 

まあ、とりとめのない感情、とりとめのない文章ですが、

秋だから?