季節めぐり

季節はめぐり、人生もめぐる、乳がんサバイバーになりました

面会できない悲しさ、つらさ

 

2年前の冬から春までの
季節性インフルエンザの流行時期のことです。

私の父は、それ以前の初夏から長期入院していていました。

いわゆる高齢者の終末期に入ってたことは明らかでしたので、
入院初日からずっと、ほぼ毎日、面会に行っていました。

考えたくないことですが、
「今日のこの面会が最後になるかもしれない」という、
そんな現実を抱えて病院に通う日々。

秋ごろからインフルエンザの流行が言われるようになり、
年末になると、
恐れていた「面会の回数や時間の制限」がなされることに。

できれば面会は1週間に1回くらいにしてほしい、
そして面会時間は1回5分以内に。
それが病院からの希望。

病院にウイルスや菌を持ち込んだり、
逆に、病院から持ち出してはけないので、
その制限を守らなければならないことも理解できます。

でも、父は私が毎日会いに行くことを楽しみにしていて、
それが、残された人生の時間を、
少しずつ少しずつ延ばしていることも実感としてわかっていました。

現在、新型コロナウイルスが原因で、
病院での面会は、もっと厳しくなっています。

今、大切な人が入院していて、
その人は、人生の残り時間が少なくて、
でも、面会できなくて、
悲しく、つらい思いをしている人が
たくさんいること。
どうか、その悲しみに想いをはせてほしいです。

当時、世の中でいろいろなことが起きていても、
このFacebookでいろいろな意見がかわされていても、
そんなことはどうでもいいというか、
そんな喧噪の中に参加できないでいる自分がいました。

今も、そういう人々がたくさんいること。
想ってほしいです。

 

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写真の桜は、2年前の今頃、
「今ね、外では桜がこんなに咲いてるんだよ~!」と、
父に見せてあげた写真です。

(※Facebookへの投稿の転載です)

 

新しい包丁で

 

4日前に新しい包丁を出してきて使い始めたんです。

切れ味抜群の包丁っていいですね。
料理をするのも楽しくなります。

昨晩、みそ汁の具にするキャベツを切って、
それをボウルに入れようとした時、
まな板の上に置いた包丁に右手の薬指の先が当たってしまいました。

直後に、すごい血が出てきました。

指を「切った」んじゃないんです。

包丁の刃の側の裾の角の部分に指先が当たったんですね。

つまり、その角の部分が指に「刺さった」という状況でしょうか。



刃物での傷はすぐに洗い流す、という鉄則に従って、
流水でジャンジャン洗って、
というか傷に流水を当てるようにして洗い流しましたが、
その間にも、どんどん流血して、
美しい血と水がマーブル模様を描いて排水口に吸い込まれていきました。

あ、苦手な方、すみません・・・。

その後、ティッシュやキッチンペーパーで押さえつつ止血。

止血したんですが、これがなかなか止まらない。

血が、出止まらないんです。

何度もティッシュを交換しつつ、かれこれ1時間ほど。
ようやく止まってくれました。

傷ができて、少々の出血があっても、
わりとすぐに止まるほうだったんですがねー。

こんなに止まらないなんて、初めて。

そういうのも年のせい?


新しい包丁、よく切れるから注意!
と思って使っていたんですけどね。

「切らないように注意」はしていたんですが、
「刺さらないように注意」もしなければいけないことを学びました。

はぁぁぁぁぁぁ・・・・・。

 

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さて、こんな話で終わるのもなんなので、

気分を変えて、先月のバレンタインデーのチョコレートのこと。

 

チョコレートが大好きだった父に、

「お父さーん、バレンタインのチョコだよー!」とお供えした

六花亭のカラフル・マンス。

 

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それは、つまり、私自身が欲しかったから、

バレンタイン&父へのお供えということに乗じて注文したのでした(笑)。

 

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そして、嬉々として撮影し、嬉々として食らう。

 

忘れられない日「3.11」に思うこと、できること

 

今年も3月11日がやってきました。

大勢の人たちが、「3.11」に感じることをSNSなどで発信しています。

みなさんの思いを読ませていただいています。

 

決して忘れることができない日、

いや、忘れてはならない日に思うこと。

 

私には、大きな支援も、大きな行動も、

いろいろな身辺の事情があってできないですが、

あの日以降、私にもできることで、

それが日常になっていることが一つあります。

 

それは、いつもの生活に必要なものを、いつもの買い物の一つとして、

できるだけ被災した地域のものを選ぶこと。

 

とくに生協の宅配で購入するものは、

全国各地のものがカタログに載っていて、

産地(都道府県名)も記載されているので、

被災地域のものが選びやすいです。

 

最近届いたものの中では、こんなものがあります。

 

岩手県の「ずんだ餅」。

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宮城県・女川町のさばの切り身。

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こんな小さな支援しかできないですが、

これらを口にした私にも、

「おいしい!」「うれしい!」という贈り物が自動的に届き、

それこそ一石二鳥ではありませんか!

 

そして、今日という日に思うことがもう一つあります。

 

それは、被災地への思いも大切だけど、

世の中には被災に関係なく、

苦しい思いや苦悩を抱えている人がたくさんいて、

たとえば病気でつらい思いをしていたり、

介護だったり、子育てだったり、いじめ問題だったり、

それはそれは大変な人も、たーくさんいること。

 

そのため、

「被災地への支援といっても、今は何もできない」と、

うしろめたい思いをしている人もいること。

 

2011年3月11日以降の私自身もそんな感じの時期がありました。

何もできない私、ダメじゃん・・・、って。

 

でも、今自分の周りに起きている問題の解決で精いっぱい、

それなら、そのための生活や行動に一生懸命で、それでいいんだよと、

自分に言い聞かせる日々もありました。

 

だから、「3.11」は、被災地、被災した人たちのみならず、

困っている人、助けてほしい人に目を向けられる、

そんな「思いやりに満ちた人々であふれることを願ってやまない日」

でもあると思いたいです。